2014年10月31日金曜日

歳をとった生体の世話について、気付いたこといくつか

ある日の近所の公園にて

 管理人が初めてペット店から買ってきたガータースネークは、今思えばたいした世話もしなかったのに11年ほど生きてくれた。連れてこられた当時、そのヘビは既に亜生体以上の大きさだったので、ひょっとするともっと年をとっていたのかも知れなかった。ガータースネークはヘビとしては比較的寿命の短いグループなため、最後の頃は鱗の感じや動きも明らかに「おばあちゃん」という風になり、食欲はあったがだんだんに空気が抜けたようになって、そして枯れ葉が枝からぱらっと落ちるような感じで死んでいった。両生類、爬虫類は時に、びっくりするほど長い月日を生きる。飼育下にある場合、野生での平均的な寿命を超越して長生きすることもしばしばある。このことを思い出すきっかけになったのは、最近動物園で老齢個体の世話を手伝う機会が多くなった事だ。基本的に一匹一匹が沢山の適切なケアを受け、大切にメンテナンスされるそういう場所では生体はとても長生きで、40年近く園で展示動物として働いている(?)カメやトカゲやヘビなどがざらにいる。そしてそれを取り巻く人達も、彼らが最後まで生命を全うできるよう、色んな工夫を凝らしていることを知った。その中から4つ、重要かと思うポイントをメモした。最近、飼っている生き物がなんとなく年をとってきたなあと感じる他の飼育者の参考にもなるかもしれない。高齢の両生類・爬虫類のケアは、管理人が興味を持っていることのひとつでもあるので、今後も新たに思いだした事があれば付け足す。

1.ハンディキャップがある

 歳をとると出来ないことが多くなるのは人間と全く同じ。比較的よく見るのが、目が見えなくなる個体。ヘビなどに多いが、外見的に明らかに水晶体が混濁しているものの他に、見た目はあまり変わりないのに実は見えてないというケースもある。両爬虫類は優れた嗅覚を持つものが多いのでそれでも問題なく生きていける事が多いが、念のため餌や水は口の前まで持っていって、きちんと摂れているか毎回確認することが必要になる。また熱を感知できるボア・パイソンの仲間は、視覚を失ったことによって餌と人の手の区別がよりつきにくくなる場合もあるので注意する。

 筋力の低下や関節炎も比較的よく見られる。これは特に樹上棲種において問題になる。体をうまく支えられなくなったり、関節にかかるプレッシャーが不快感になって、のぼり木などにあまり登りたがらなくなる個体もある。その場合、ケージ内容は模様替えをして、バリアフリーなレイアウトにし、わざわざ木に登らなくてもバスキング出来るようにしたり、水入れは浅くしてすべり防止の為に中に人工芝を入れてみたり、工夫する。樹上棲ヤモリなどは、平らな面が地面と水平になるように設置した角材を入れたりして、楽にとまっていられるようにする。

 かなり老化が進んでくると、多くの個体はハイドボックスの中など特定の場所で静かに一日を過ごすようになり、糞もそのままそこでしてしまったりするようになる。不衛生にならないように、数日に一度は個体を動かして下に汚物がないか確認する(ついでに軽くハンドリングして体をほぐしてやる)。脱皮等も失敗しやすくなるので手伝う。

2.水分は全てを助ける

 仮に乾燥地帯出身の生き物であっても、水分補給は頻繁に(できれば毎日)行う。水入れの器の水換えをするだけでなく、霧吹きなどで軽くミスティングをする。適切な水分補給は呼吸器や循環器、泌尿器などの負担を軽減するだけでなく、先に書いた脱皮不全などを予防することにもなるので、個体が若かった時以上に気を付ける。蒸れには注意する。

3.食餌内容に気を付ける

 牙やクチバシの角質が摩耗して、上手にエサが取れなくなる個体が出てくる。歯が定期的に抜け落ちるタイプの生物も、再生速度が遅くなるので、そのような状態であっても食べられるようにエサの内容を検討する。本来の生態に即した餌を控えめ・こまめに与えることが重要になる。両生類などは特に、なるべく代謝を一定に保つようにする。

4.苦痛を取り除く

 最初に少し書いたように、生体が野生での平均寿命を大幅に超えて生きていると、普通では見られなかったような障害や、病気にかかるようになったりする。腫瘍などはその代表選手かもしれない。明らかにコブの様に盛り上がってくる腫瘍などは特に、触るとどことなく苦痛を感じているようなそぶりを見せる個体も居るので、なるべく触らないようにし、程度によっては治療、または安楽死の選択も必要になるかもしれない。

2014年10月27日月曜日

永遠なれ、農家の心


 近所の道を通るたびに街路樹の色が紅葉でどんどん変わっていく季節になった。イベントシーズン到来である。爬虫類のイベントはこれから冬にかけて小休止というところだけれど、空いたスペースに管理人の内緒の趣味(別に内緒にする必要は全くないのだが)でもある産業動物、不動産、銃火器等のショーが入るので、出かける頻度にはあまり変化がない。先週末は、多分今年最後になるだろう爬虫類の即売会と、古本市にて欲しかったイモリ・サラマンダー関係の本を掘り起こし、その後犬と馬の競技会を少し見てきた。

 南に150キロほど下った地方の中規模都市で行われた爬虫類の即売会はここ3年ほどで目に見えて規模が小さくなった。売られている動物も八割がたがコーンスネークか、ボールパイソンか、フトアゴヒゲトカゲに変わった。多分それしか売れないのだろう。記憶のある限り遡れば以前は面白いアジアのヘビ等を売っていたブリーダーも、このごろは明らかにブリーディングストックと思われる個体達を売りに出しており、当歳のヘビ達は皆コーンスネークだった。ヨーロッパと違い、アメリカの爬虫類の即売会は生き物が売れなくなると比較的賑わいを見せていたイベントでもさっぱりと中止になったりするので、苦肉の策なのかもしれない。日本でも主要都市への人口流入と地方の過疎化という傾向が止まらずに問題化しているが、こちらアメリカでも、いわゆる一般庶民の「体感景気」のイマイチさが長く続いているので、雇用を求めた若者がなんとなく都市部の方へ移動してしまい、こんなふうに地方のホビー文化的活性は低くなっている場面を目にする。


 「いいコーンとれたよ、持ってきな」風に大小色とりどりのコーンスネークを見せてくれたおじさん。写真からこのおじさんだけを抜き出して、背景を青々とした畑に変え、手に持っているものをナスとか、トマトとか、チーズやハムに変えても成り立ちそうなところがちょっと面白い。こういう場面で、爬虫類に限らずペットのブリーディングとはどこかしら農業に通じる、「農民の趣味」なのだと感じる。毎日コツコツと田畑を耕し、牛に干し草をやる事と、ヘビのペーパータオルを換えることは、概念的には似ている。そのこつこつとした日々の帰結として毎年訪れる収穫の喜びが、現代人の中の眠れる農民魂を刺激するのだ。

2014年10月22日水曜日

不定期更新「盗まれた世界」2

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 その日私は、ウェイン・ヒルが言った通り、プールサイドのテーブルにぽつんと座っているハンク・モルトを見つけた。夕方近かった。モルトがその時手にハイネケンのビンを持っていたかどうか、私の記憶は定かではないが、この日以降私は彼がこれと全く同じ状況・セッティングにある所を、一度ならず見ることになった。

 モルトは痩せて背の高い50代中盤位の男で、そしてトム・クラッチフィールドに起こった事の顛末について、大いにおもしろがっているように見えた。彼は(クラッチフィールドと同じく)タトゥーとポニーテールの美学を注意深く回避しており、かわりに清潔に整えられた短髪にカーゴパンツを履き、殆ど陸軍兵の様に見えた。彼は非常に聡明である一方、些細な事で狂騒状態に陥る人特有の、出っ張った眼をしていた。そして、彼が何年もかけてたった数頭を手に入れるためにあれこれ考えを巡らせていたマダガスカルのフチゾリリクガメ達について、どこかのやり手がやってきて、まんまと(それも一気に75頭も)盗み出すのに成功した事について、かなりうっとおしく思っていると述べた。

 モルトはあのエキスポ会場に居ながらなんの看板も掲げず、スローガンも、ブースもなく、動物すらも持っていなかったのである。モルトにとってこの「ハーペトカルチャー」と呼ばれるもの―ミューテーション、デリカップの山々、そして見せかけのサイエンス―が持つ魅力は限定的なものであった。彼は言った、自分は野生の生き物とその美しさ、その希少性、そしてそれらを得るための場所へ分け入るために生きていたと。そして今日び見られる動物達は皆、既に物語性を失っているのだとも。モルトが自身を恥知らずの熟練密輸人ではなく、「希少動物専門の特殊業者」と銘打っていた数年間、世界のどこかから動物園に現れる彼の布製サックからは、トカゲやヘビ達が取り出されたのだ。彼はサックを一つづつ開けながら、這い出る生き物についての物語を説いて回ったのだ。それは効率的な動物の売り方ではなかった。それは戯曲であった。一つの演目をやり終えるには何時間も要した。

 「それはヘビにまつわる『ロマンス(冒険譚)』だったんだ」と彼は言った。ふたを開けてみれば、それは見るに堪えない歪んだ『ロマンス』だったのである。


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著者Jennie Erin Smithは科学と自然史に精通し多くの受賞歴を持つフリーランスのサイエンス・リポーターであり、頻繁にTimes Literally Supplementに掲載されている。彼女はフロリダで数年間環境リポーターを務めたことがあり、そこで著作Stolen World (2011)を書くのに必要な多くのコンタクトを得た。

2014年10月18日土曜日

家庭でできるエコテロリズム

 ふざけて過激なタイトルをつけてしまったが・・・最近カエルやイモリをもっと手軽に観察したい欲求が高まってきていたところへ、落葉のシーズンが到来したのである。この短い期間、まだまだ8割がた葉を残す木立ちと地面の落ち葉が格好の目隠しを提供している事に気が付いた管理人は、ついに裏の雑木林にこっそり池を掘るという暴挙に出た。情報を付け足すと、管理人の住む家は地域の自然センターの管轄するこの保護林に直に面しているものの、バックヤードから30メートルほどはなだらかな下り坂が続き遊歩道もないため、時折現れる不届き者が空のペットボトルを放り投げて去っていくのみの場所となっていたのである。普段から枯れ枝をまとめたり、サラマンダーを見たり、ゴミを拾ったりしている管理人がここで何かしている事を不審に思う者はいない。チャンスである!シャベルとツルハシに安全靴を履いて分け入った。好機とみれば即実行に移すのがテロ成功の秘訣だ。


見つかったら怒られること必至である

 そして池の原型が出来上がった。写真だと小さく見えるけれども、成人男性二人が楽に横になれる程度の大きさがある。奥は深めで手前がスロープになっている、カエルに優しい設計。本来ならこの後水を逃さないようにするためのライナーを敷くべきところだが、もう少し手直ししたいのと(オタマ大星雲を見るためには、少なくとも深さ1メーターは欲しいところ)、土壌が粘土質な事、そして見つかって叱られた場合即埋め戻せるようによく踏み固めるだけにすることにした。果たして、この池が自然の一部として機能するかどうかは春が来るまで分からないが、楽しみにしてときどき覗きに来ることにした。

 余談だが、実は、こんなふうに他人の敷地に穴を掘るのはこれが初めてではない。小学生の頃は、我が家では禁書とされていた「みどりのマキバオー」の単行本を区の緑地に穴を掘って隠していたし(ご丁寧に地図まで作っていた)、大学時代同級生らと結託して、意味もなく校庭に直径4メートル・深さ3メートルほどの大穴を掘ったこともあるのだ。さらには調子に乗った誰かが人間トランポリンをやろうと言いだし、穴の上を覆ったシーツをそれぞれが持って作った粗末なトランポリンで、級友一名が病院送りになった。もちろん助手達にあとで厳しく追及され、寂しく大あなを埋め戻したのが記憶に残っている。何にせよそれ以来、叱られることを気にしていては「大義」は貫けない事を学習したのであった。そして「大義」の後始末には大きな苦痛とわびしさが伴うことも。

2014年10月17日金曜日

不定期更新「盗まれた世界」1

 春にオーダーしてからずっと積ん読状態になっていたジェニー・スミス「盗まれた世界」をやっと手に取った。今2章ほど読んだ所だが、日本語にしてだれかと共有する意味のある本かもしれないと思うようになった。この本は爬虫類のペットトレードに関するほぼ(※)実話に即したドキュメンタリーで、300ページ以上あるハードカバーなので興味の無い人には苦痛かもしれないが、近代博物誌動物園爬虫類のペットトレード「ハーペトカルチャー」の歴史密輸トム・クラッチフィールド、などなどのワードにピンと来る人にとっては面白いと思う。ブログにこうして全文をアップするのは多分、米国著作権法の定める「フェアユース」の範疇ギリの所だと思うので、本文の二次活用、特に商業的な利用はご遠慮ください。適度な所でぷちぷち切りながらの気まぐれ更新になると思うので、それでも良ければご覧ください。ではここから始めます。※「著者によるはしがき」にて後述する3人の登場人物のみ仮名になっている。
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著者によるはしがき

 この本はインタビュー、裁判記録、時事録(出版されているもの、いないものに関わらず)をもとにして書かれた。ほぼすべての引用文はインタビューから、それ以外のものも宣誓証言から起こされている。ベンジャミン・バックス、ステファン・シュワルツ、そしてカール・ソレンセンの3人以外、名前も全て本名である。
Part 1:The Kraftsman

 出展者達は自分達のテーブルにつき、積み上げられたデリカップ―食料品店で小さなオリーブやクリームチーズを分配するのに使われるプラスチック・コンテナ―の列に目を走らせていた。一つ一つのカップには丁寧に空気穴があけられており、中にはトカゲやヘビの赤ん坊が入っていた。

 時は1996年の8月、ナショナル・レプタイルブリーダーズエキスポは今まさに始まったばかりだった。オーランドホテルの大展示場数室分に及び、出展者たちは布製の看板のもと、デリカップの群れを展示していた。看板は漠然と、プロパガンダ的スローガンを掲げていた:商業化を通した保護科学的経済活動を通して(種の)存続を保証する。出展者たちはほとんど全員が男性で、そのうち少なくとも半数はタトゥか、ポニーテールか、爬虫類のパターンが描かれたTシャツを着ており、幾ばくかの人々は上記全ての特徴を備えていた。

 かつて人目につかないものだった爬虫類を飼育するという趣味は急速な成長を見せ、新しい名前を得た。「ハーペトロカルチャー」である。一見「ハーペトロジー(爬虫類学)」に聞こえるが、真の爬虫類学者になるためには博士号が必要である。しかしある朝あなたが目覚めて、飼っているヘビが卵を産んだことを見つけた時、あなたは「ハペトロカルチャリスト」になる。出展者たちは爬虫類を普通ではない色、またはアルビニズムなどの変異のために繁殖し、それらの操作は動物達の価格をただただ上昇させた。「貴重で素晴らしい個体を海外から手に入れるには、以前は輸入業者や密輸人に頼るほかなかった」とある出展者は述べた。しかし現在は「ハーペトカルチャー」のおかげで、彼らはその珍品類―依然として価値があり、しかし純正に法に則った―を自宅で創出することができる。そればかりか、これまであまたの種を繁殖させたことによって、彼らは危機に瀕する爬虫類を絶滅から救っているという。

 これらにまつわる諸々の事はとても高貴に聞こえた、ただニューヨークタイムスが数週間前に一面を割いて伝えた、マダガスカルの特別保護施設から盗まれた非常に希少なヘサキリクガメ達のニュースを除いては。記事は、盗まれたリクガメのうち何頭かはこのオーランドのエキスポで浮上してくる可能性を示唆していた。さらにこのエキスポの3日前には、ここから一時間ほど先のフロリダ州ブッシュネルのダイナーで、合衆国魚類野生生物局のエージェントが61匹のヘビと4頭のリクガメ(フチゾリリクガメではないものの、マダガスカル産の種)を密輸しようとしていたドイツ人を逮捕していた。ブッシュネルのダイナーでこのドイツ人は、いったい誰に会う予定だったのだろうか?エージェントはその事については触れなかったが、エキスポの出展者達は皆知っていた。

 フロリダ州ブッシュネルに住んでいる爬虫類のディーラーは1人しかいなかった。彼の名前はトム・クラッチフィールドと言った。エキスポでは、クラッチフィールドは一番目立つブースと見栄えのする看板、そして生え抜きの動物達を持っていた。彼のテーブルの横にはペアで750万円の値段を付けられた2頭のアルビノイグアナ―微動だにしない美しき怪物たち―がいた。クラッチフィールドは口ひげを蓄えた小柄だががっちりした男で、そしてとにかく異常に苛立っているように見えた。野生生物局のエージェントが、ひとりのドイツ人などよりも何かもっとずっと大きなものを取り潰そうとしている事はだれの目にも明らかだった。

 このエキスポのオーナーであり、地元フロリダの出でもあるウェイン・ヒルは、こうした騒ぎをよそに私を彼のペントハウスの居間に招いていた。半ダースほどいた彼の仲間達に囲まれながら、ヒルは座っていたカウチの背をくつろげ、爬虫類のビジネスについて、そしてそれがどのようにしてここまで大きくなったかなどをもったいつけながら話した。ウェイン・ヒルは引退した燃料技術者で、それまでに何年かをサウジアラビアで過ごしていた。彼は生粋の石油マンであったが、それ以上にひとりの爬虫類好きでもあった。砂漠で―ヒルは言った―彼はひとつのビジョンを持つに至ったという、まるで神やモーゼでも目の前に現れたかのように。

 その演説は今までに何度も繰り返されてきた節があったが、仲間たちは聞き入っていた。その砂漠で―彼は続けた―ヒルは、爬虫類のディーラー達が自由に生き物を売り買いできるフォーラムを、心に描いたのだという。彼が初めてのエキスポを開催する以前は、ディーラー達の活動の場は動物園やサイエンス・シンポジウムに向けてなどのみに限られていたと、ヒルは説明した。世界的に野生動物のトレードが忌避されるようになりゆく中、ヒルは純粋にディーラー達のためだけのエキスポを開催した。フロリダ州オーランドのハワード・ジョンソンホテルの小さな一室にて、1990年の事だった。今、その6年後の現在、我々はもっとずっと大きなホテルの会場にいる。「ニューヨークタイムスはなぜ、ヘサキリクガメがこの会場に現れると考えたのでしょうか?」と私は彼に尋ねた。ヒルは気色ばんで、誰か敵愾心を持った人間、おおよそどこかの動物園関係者か「動物愛護ナチ」による考察だろうと述べた。私はこれ以上、あのドイツ人やトム・クラッチフィールド、またはあの明るいエキスポ-あたかもオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』に出てくる胎児達のように、無菌のコンテナからヘビが取り出される-が、未だ密輸人に何の用があるのか、などについては聞かないことに決めた。

 ところがおかしなことに、ヒルは私に、彼が個人的にとても好感を持っているというひとりの密輸人を紹介したのだ。ヒルが言うには、彼なしには、今オーランドで見られる素晴らしい生き物たちの多くは存在しえなかったという。そして次の日、私はハンク・モルトに出会ったのである。

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著者Jennie Erin Smithは科学と自然史に精通し多くの受賞歴を持つフリーランスのサイエンス・リポーターであり、頻繁にTimes Literally Supplementに掲載されている。彼女はフロリダで数年間環境リポーターを務めたことがあり、そこで著作Stolen World (2011)を書くのに必要な多くのコンタクトを得た。かわいいアメフクラガエルのイラストはMark Mandicaによる。

2014年10月15日水曜日

フトアゴ飼いの姉さん、事件です(※兄さんも)

とあるエキスポにて ベンダーのおばちゃんが連れてきていたフトアゴの一個体。あきらかにおばちゃんの生活様式を「習得」している (うそ)

 爬虫類って実際、どのくらい頭が良いのか?という話題は以前から度々触れているけれど(話その1その2その3)、また何か面白い事が分かったようなので忘れないうちに書き留めておく。

 最近とあるサイエンスジャーナルに載っていた話によると、爬虫類の一種Pogona vitticeps(以下フトアゴヒゲトカゲ)を使った実験によって、彼らに他の個体がやっている事を観察して習得する、社会的学習能力があることが初めて確かめられたという。イギリスのリンカーン大学の研究員チームによって行われたこの実験の概要は、まず12匹のフトアゴヒゲトカゲの中から1匹を「お手本役」として、ケージの中に設置された網戸を開け(網戸はふすまのように横滑りに開く)、隣の部屋にあるミルワームをゲットするトレーニングを受けさせた。そのうえで、残りのトカゲ達の半数にはこの「お手本役」がドアを開けてミルワームを取るところを事前によく見せておき、残りの半数には何も見せなかった。こうして区別された2つのグループが各自網戸つきケージに放された時、果たして、事前にお手本を見たグループのトカゲたち全員がミルワームをとることが出来たのに対し、何も見なかったグループのトカゲは殆どミルワームまで辿り着くことが出来なかったという。

 実験でフトアゴヒゲトカゲたちが見せた「社会的学習能力」というのはとても高度な認知能力が絡んでくるもので、従来ヒトをはじめとする一部の動物にしか見られない行動だと思われてきた。他の個体がやっている技を獲得してそれを正しく使うためには、目で見たままの行動をまねるだけではなく、その裏に隠された「他者の行動の真の目的」という、抽象的な概念を理解することが必要だからだ。自然界にはオウムが人間の言葉を喋るような感じでいわゆる「サルマネ」が出来る動物は多いものの、「社会的学習」が出来るのは一般的に高等とされる動物に多く、まさか爬虫類にもそのような能力、というか脳力が備わっていた事は最近まであまり知られていなかった(因みに類人猿にはとても洗練された認知・社会的学習能力が備わっている事が分かっているので、このサルマネという言葉は彼らにとってたぶん非常に失礼であり、NGワードになるべきでしょう)。

 個人的に思うのは、この実験の甲乙は置いておいて、こうしてフトアゴが人為的に作られた環境の中で本来の習性から一歩はみ出た「ふすまを開ける」という能力を発揮してくる所も面白いと思う。動物園の生き物などを見ていても、本来単独生活者だったり全然別の地域で暮らしている爬虫類同士が何らかの理由で同居を余儀なくされた時に、個体間に予期せぬヒエラルキーが現れたり、共同作業をはじめたりする場合があると分かってきている。爬虫類に限らず個体の隠された能力というのはこうして今までの常識では遭遇しないような題材に対峙した時、浮き彫りになるものなのかもしれない。自分の人生においても、例えば何かとんでもなくありえへん事態が起きたならばそれはひと皮剥けるチャンスと捉えるべきなのかもしれない。またひとつ爬虫類に大切なことを教わってしまった(のか?)。

2014年10月13日月曜日

すごいぞ、モリモリ

いつも グーグルの+を押してくださるみなさん ランキングのアイコンを押してくださるみなさん どうもありがとうございます。
日本列島は今強い台風が来ているとのことで 自宅に缶詰になっている人も居られるかと思い つまらない話ですがもうひとつ更新します。


 森や自然を構成するひとつひとつの植物、一匹一匹の生き物に等しく役割がありそのどれもが大切だという事は、もはや誰でも知ってる事実だと思うけども、ある特定の生物に的を絞って彼らが具体的にどの位エコシステムに貢献しているかに注目すると、びっくりするような事実が隠されていることがある。

 秋になってその辺でよく見かけるようになったセアカサラマンダーは、プレソドン科というムハイサラマンダーの仲間である。彼らは読んで字のごとく成体になっても肺を持たず、呼吸は皮膚に頼っている。日本のサンショウウオの中ではハコネサンショウウオも、科は違うけれど肺を持たないサラマンダーとして知られている。彼らは喉元をピコピコ動かしていかにも息をしてます風に見えるけれど、それは匂いの分子を鼻に多く取り込むための行動で、実際の呼吸とは少々異なるのだそうだ。話を少し戻すと、先日このムハイサラマンダーの仲間に関する面白い話を読んだ。それ曰く自然界における彼らは、単なるエコシステムの構成員どころか「知られざる森の守り人」レベルの存在なのだという。

 ムハイサラマンダーの仲間が多く住む落葉樹の森において、毎年地面に降り積もる落ち葉は有機物であり、多くの炭素を含んでいる。地表に棲む微細な生き物がこれをちぎって食べて、消費した時、炭素はメタン(温室効果ガスの一種)などと共に、二酸化炭素として空中へ放出される。アメリカ農務省森林科のハペトロジスト達の実験によると、ここに自然な密度でムハイサラマンダー達が介在して、積極的に微細な生き物たちを捕食した場合、見かけによらず大食漢な彼らの活動によって落ち葉の分解スピードがぐっと緩やかになるのだという。その結果、森林約70メートル四方あたり計100キロ近い炭素が気化せず地中に戻ることとなり、同時に相応分のメタンの排出も抑えられるという。この、炭素の土壌への吸収量はサラマンダーがいなかった場合と比べて13%増だという。これは読んだだけではあまり実感がわかないけれども、積もり積もれば(実際は雑多な要因により結果は異なってくるとはいえ)周辺の大気に影響を及ぼしそうな数字であり、世界の片隅でひっそりとケシツブみたいな虫を食べているサラマンダー達が、もしかしたらめぐりめぐって地球の天候を左右するほどのパワーを秘めているかもしれないということになる。おもしろいと同時に感動だ。因みに多くのサラマンダー達はこうして蓄えたエネルギーから、自分が生き永らえるのに必要最低限の分だけをとり、あとは卵や繁殖行動のために皆使ってしまうという。それが証拠にサラマンダーの仲間は、鳥類などの捕食のリストの中では下位の方に位置するという。彼らを食べても相対的に得られるカロリーが多くないからだ(野菜のキュウリみたいなものか)。どこまでも慎ましく、まさしく「清貧」という言葉の似あう生き物であると、よこしまで無駄だらけな存在である自分などは思う。

 しかし日本語でイモリが「井守り」、ヤモリが「家守り」ときたら、こんなふうに森を守るサンショウウオは「モリモリ」という事になる。モリモリといえば管理人が大学時代大変お世話になったオカマの先輩と同名になってしまうが(どうでもいい情報)、日本のオオサンショウウオなどがこちらで「ペッパーフィッシュ」とか言って紹介されているのを見るとワンプレート500円のファストフード店みたいな響きで威厳もくそも無く、オオモリモリの方がまだマシという気がする。

2014年10月12日日曜日

ガサガサ活動 その四

Carphophis amoenus amoenus

 週末、隣州の雑木林でガサガサ活動。湿った落ち葉溜まりでほっこりしていたイースタンワームスネークを見つけたので無理矢理ひっぱりだしたところ、ヘビなのに明らかに涙目になっていた。(自分でやったくせに)何かかわいそう、と気の毒になった・・・次の瞬間!臭腺から何か分泌物を出したらしく、何とも言えない匂いがあたり一帯に漂った。ナミヘビのムスク的な匂いとは似て非なる、例えて言うならケガした所にバンドエイドを貼ったことを忘れて水仕事をし、うっかり蒸れちゃった傷口みたいな、有機的としかいいようがなく、くさいと言えばくさい、だが何となくもう一度嗅ぎたくなるような匂い(笑)。この分泌物、意外としつこくて洗ってもアルコール綿で拭いてもなかなか落ちず、帰りの運転中も気が散って散って仕方がなかった。仮にもしこれで事故った場合、イースタンワームスネークの種ステータスが「無害」から「死者1」に変更になるのか、とか、もしそうなら自分の墓石にワームスネークの絵を彫ってほしいとか、こんな変なヘビを見たおかげでどうでもいい変なことばかり考えてしまった午後だった。

2014年10月8日水曜日

金のサラマンダー

Eurycea bislineata

 突き詰めようとすると、ちょこっと手軽に楽しめるガサガサ活動から、いつの間にかただのトレッキングになっていくのがイモリ・ウォッチの落とし穴かもしれないと気付いた。それでも近場を適当にフラフラするだけで済んでいる自分などはまだまだ甘ちゃんで、ハードコアなウォッチャーになってくると、テントとザイルを持ってアパラチアの山々へ籠もりに行くという。日本に住んでた時も思っていたけど、有尾好きにはおっさんがやたらと多いのもこのあたりに端を発している気がする。その傾向はアメリカでも同じで、こちらの有尾好きの人々と話す時、休日にお弁当もって何時間も沢のまわりをウロウロし、そこに湧く小っちゃいイモリを見てきゃあきゃあ騒ぎたいおっさんという特別な種族に高確率で出会う。愛すべき人達である。

 しかし、鬱蒼とした森林を黙々と歩いているうちに、ときどき「ご褒美」的にサラマンダーとの出会いがあると、鮮烈でどこか原始的な喜びがあることは疑いようもない事実である。上の写真は昨日行ってきた、綺麗な沢で見つけたフタスジサラマンダーの成熟したメス。フタスジサラマンダーとは先週も出会っているけれど、その時撮った「平均的なフタスジ」写真と比べると、この個体がいかにとび抜けた美人なのかが分かる。ほぼ無班でラインも控えめで、全くいやらしさのない繊細なシャンパンゴールドが眩しく、はっきり言って森の宝石と言っても差支えないかと!・・・というのは管理人の勝手な意見ですが、個人的に好みど真ん中すぎて、嬉しさのあまり踊り食いしたくなってくるほどだった(注:しません)。

 この個体は、お腹に卵がいっぱい入っていた。今年もがんばって、きれいな仔を沢山残してくれればいいな、と思う。


 これも同じ沢で見つけた、ちょっと変わり種。日暮れが迫る中、木片をどけたら居た、4センチくらいの小さなサラマンダー。薄暗がりの中だったので何だかよく分からなかったが、なんとなく気になったのでフラッシュをつけていくつか写真を撮って帰ってきた。後で知人に聞いたところ、恐らくノーザンダスキーサラマンダー(Desmognathus fuscus fuscus)だと思うが、もしかしたらアレゲニーマウンテン・ダスキーサラマンダー(Desmognathus ochrophaeus)の可能性があると言い、もし後者ならかなり珍しいという。サラマンダーだとこういう場合、「珍しいんだぜ、うっひょ~」という派手なリアクションにはあまりならず、「小っちゃくて茶色いけど、珍しいんだねェ・・・」と、お年寄りが孫に「偉いねェ・・・」というあの感じに似た受け答えをしてしまいがちなのも、パターンとしてあるかもしれない。

2014年10月6日月曜日

守るべき隣人

 突如、自分はボールパイソンも飼ってないし、コーンスネークも飼ってないし、繁殖もやってないし、このままイモリ~イモリ~みたいな記事ばかり書き続けていたら、そのうちブログを訪れる人が誰も居なくなるのではないかという危機感にとらわれた。というわけで、このあたりでカメの事でも書こうと思う。ちょっと画像けれど、粗いが下の写真を見てほしい。


 これは先月24日の、南バングラディシュのひなびた漁村での光景だそうである。カメはここの溜池で飼われていたバタグ―ルガメ(ヨツユビカワガメ/ノーザンリバーテラピン、Batagur baska)のメス。右で泣いてるおばあさんは、もう明らかかもしれないけれど、16年間池の大ガメを世話してきた「飼い主」である。

 バタグ―ルガメは主に南アジアの河に棲む大型のカワガメで、生息地の破壊と、現地では卵や肉が食用とされる事で急激に数が減り、サイテスI類、IUCNレッドリストでは「絶滅寸前」のカテゴリに入れられているとても貴重なカメだ。写真のカメは、北米テキサス州に拠点を置き科学者とボランティアによって草の根的に運営されている「タートル・サバイバル・アライアンス(TSA)」のアジアチームによって先月、この漁村でひっそりと飼われていたことが発見されたのである。TSAはこうした場合、持ち主にお金を支払って、購入した個体を国内の保護施設へ移送する。施設には、こうして個人宅や食肉市場から時間をかけて、手作業で一匹一匹集められた十数匹のテラピンたちが育成されており、既に繁殖実績も上がっているという。

 アジア全域に見られるカメ食は、われわれ日本人の捕鯨文化と少し似ていて深く長い歴史があり、完全に途絶えるまでには時間を要するだろうし、その間、今すでに減少傾向の多くの亀種は絶滅に追い込まれていくだろうと思われる。ただ、こうして好んで消費することと同時に、カメが大好きで大好きでたまらないのもまた我々アジア人であると思う。それは中国人の異様ともいえるカメへの情熱を見ていても思うし、そもそも人間は、ちょっとでも気味が悪い、汚らわしいと思っているものは捕まえて食べようなどとも思わないはずだ。水と田んぼを愛し、自然のおこぼれをもらいながら生きてきたという意識のあるアジア人にとってカメは本当に親しみを感じる存在であるし、これから徐々にでも「愛すべき生き物、ときどき食べ物」から「守るべき隣人」への意識の転換が起こってくればいいなと思う。

2014年10月5日日曜日

ガサガサ活動その弐。

第一村人発見

 うちから車でちょっといった所にある雑木林の保護林(「春のキタミズベヘビ祭り」のあの林)へ行ってきた。気温10℃前後、湿度70パーセントの非常に動きやすい日で、セアカサラマンダーがそこかしこから出てきて楽しかった。反面、紅葉が始まり、冬に向けて枯れていくシダ類等を見ると「本当に夏は終わったんだな」と若干寂しくもなった。今夏は特に旅行などもほとんど行かず個人の雑務や健康面でのメンテナンスをやっているうちに終わった感じがするのも一因かもしれない。


 比較的大型のリードバック(無班)のメス個体。写真のバックに木が写っているが、こんな風にキノコの生えた倒木の下からは、サラマンダーは見つからない事が多い気がする。あと、朽木の下が粘土っぽく、ミミズが居るような環境になっている所でもあまり見かけない。彼らの隠れ家はただ木や石で覆われていればいいというだけでなく、多分、彼らにしかわからない色んな細かい好みのようなものがあるのだろう。こんな申し訳程度の脚で歩き回り「これだ」とピンとくる家を探すのはきっと一苦労に違いない。多分、そのためもあってか(サラマンダーやサンショウウオ全般に言える傾向かもしれないが)セアカサラマンダーはけっこう縄張り意識が強い。一度気に入った棲み家を見つけると、そこを一生懸命守ろうとして、ひとたび他の個体が侵入してきそうになればイソイソと出て行って噛みついたり(!)して、意外と強気にやっつけようとするから驚く。


 ・・・かと思えばこうして複数匹でやんわり同居?している感じのグループに出会う事もあるので謎である。

 写真の現場では4匹(1匹は既に緊急脱出している)がなんとな~く仲良く住んでいた。こんなに近くても均等に空間を開けているらしき所を見ると、多分この位がセアカサラマンダーにとって、見知らぬ個体同士が快適でいられるミニマムのパーソナルスペースなんだろか。真ん中に居るのは赤い色素が少ないか、無い個体。100匹に数匹まじっているくらいの比較的珍しい型。

 今まで見た記憶を統合すると、セアカサラマンダーは恐らくベースの銀灰色というか、パールカラーっぽいピグメントの他に赤と黄の色素を持っていて、3つの色素全てが存在すると、一枚目の写真のようないわゆる「ふつーの個体」になる。何らかの理由でこの色素を3つとも欠くと二枚目の写真のようなリードバックになる。赤い色素だけ抑制されると、三枚目のような黄色いラインの個体になる。赤い色素も黄色い色素もどちらも持たない場合、地のパールカラーのラインのみをもつ個体になる(いわゆるアネリスリスティック)。これはかなり珍しくて、写真でしか見た事はない。このほか、殆ど全身がオレンジ色になった個体も知られているが、これはもう本当に珍しくて、見つけることはちょっとした夢である。

2014年10月1日水曜日

秋のガサガサ活動開始

スポットサラマンダー Ambystoma maculatum

 ルー大柴さんの言うところの「ガサガサ」に適した季節がまたやってきた。今日は動物園の人にさそわれて、地元のネイチャーセンターで生き物とりをした。本来の狙いはカエルをいっぱい獲って、ツボカビとラナウイルスの分布を調べるためのサンプルをいっぱい採取する事だったが、前日が雨天だったため観察予定地の池が増水してカエル達が自由自在モードに入っており、厳しい戦いを強いられた。アフリカから帰ったばかりの飼育員L(←ウォリアータイプの女性②。本人は負傷していて参戦できない)に「そこ!右だ!!」「目、見えてんのか」「もっとアグレッシブに行け!!」とか喝を入れられながら、皆ガサガサどころか腰まで水に浸かって奮闘したものの、成果はいま一つだった。

 一方陸・半水棲種のサラマンダーはなかなか豊作で、このあたりでは比較的珍しいナガレサラマンダーの仲間のフタスジサラマンダーや、明るい黄色のポチポチが非常に可愛いスポットサラマンダーなど数匹を見つけることが出来た。スポットサラマンダーはトラフサンショウウオ科で、日本でもペットとして流通するタイガーサラマンダーやウーパールーパーのイトコの様な感じのイモリ。来るべき冬に備えて夏中食べまくってきたのか、見ているこっちが「よかったね」と幸せになるほどまるまるとしていた。因みにこの写真を撮った時ちょうど西日が差していたのだが、サンショウウオの皮膚は構造的にこうして直射日光を浴びることがダメージになる事があるそうなので、注意したいものだ。

フタスジサラマンダー Eurycea bislineata  これでも「巨大個体」

 因みにこの「ガサガサ」という用語、アメリカのフィールド好きの間では「shrubbing」という、感覚的にほぼ一致したスラングが当てられている(Shrub=藪)。そして、本当にどうでもいいトリビアだけれど、イギリス英語で「shrubber」といえば売春婦のヒモ男を差すスラングとなるのだ(なぜそうなるのかは各自ご想像下さい)。ともあれ、今後イギリス方面の人とフィールドでトゥギャザーする時は、うっかりかっこつけて「私とシュラビングしないか?」とか言わないよう、十分に注意したいところだ。