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2015年2月23日月曜日

ワニだって遊ぶという話


 爬虫類はどのくらい頭がいいのか?という、管理人が日ごろ興味を持っているテーマなんですが、それに関連する話題として最近、「ワニも遊んでるらしい」という新説が発表されました。興味のある方は読んでみると面白いかも知れません(テキスト全文[PDF]、あと日本語の記事でとても分かりやすくまとまっているものもありました)。爬虫類以下の動物に関するケーススタディみたいなものが最近増えていると感じますが、トレンディなテーマなんでしょうか。単に新説を唱えやすい分野なのかもしれない。

 この話の概要を一言でいえば、野生下・飼育下両方におけるワニの観察を通して、彼らの間にも、ほかの動物と同じく遊び-運動遊び(locomotor play)、物体遊び(object play)、社会的遊び(social play)行動が存在する!という主張につきます。爬虫類の行動研究とはどういう尺度を使って解釈しているのかが人によって違う印象があるのでどうしても眉唾感は付きまといますが、こういう研究に長い年月を費やす人が出てきたという事だけでも、意義ある事だと思われます。

 ところでこれを読んで思い出したのが(手前ミソ的でアレなんですが)二年前にちらっと書いた話です。これなんかも「ワニにも遊び心がある」という前提で見てみると、ある時鼻に引っかかった小枝を「もてあそんで」いたところ、たまたま鳥をおびき寄せることに成功したワニがそれを学習して、捕食活動に昇華させていったというシナリオが浮かんできます。フトアゴヒゲトカゲの研究では、個体間でお互いの行動をマネして学習するという行動が観察されているので、主観だけれどより賢そうなワニの間でこういう「有意義な遊び」行動が広まっていくというのも、ありそうですね。つまるところ、私達生き物にとっての遊びというのは=可能性の模索であり、全ての遊びは生命にとって不可欠な、次世代へ生き延びていくための手段の探求へと通じているのではないかと思われます。そうやって考えると爬虫類や両生類、魚や果ては昆虫の仲間に至るまでいわゆる「遊び」と思われる行動が存在したとしても不思議ではないし、我々人間達の間でも、一見ムダな「遊び」に興じる事が、将来重要な発見のきっかけを運んでくることもあるわけで、そういう人々を笑ったり、バカにしてはいけないと思うわけであります。と、一見無意味な趣味である、爬虫類・両生類好きが申しているわけであります。

 今日の写真はワニの遠縁ということで動物園シリーズ②、先週水曜日のガリアル(Gavialis gangeticus)のお姉さま。彼女自身は堅実・真面目で「遊んでる」という印象を抱いた事はないですが、このガリアル水槽に同居している、自分が「スナック」と呼んでいるオオアタマガメがチャラ男であり、立場もわきまえずに彼女の上に乗ったり、彼女の口吻のまわりを意味もなくウロウロしたり、用もないのに浮いてる葉っぱのまわりをクルクルしていたりわが物顔で、かなり「遊んでる」雰囲気です。ガリアルがお魚が好きな大人しい生き物だという事が幸いでした。このワニは「ガビアル」では?と思った方で、お時間のある方は、よかったらこちらのうんちくもご覧ください。

2014年12月3日水曜日

恋は浮力に乗せて


 ワニの交尾が水中で行われるというのは、本で読んだりして知識としてはあったけれど、今まで実際に自分の眼で見たことはなかったので、あまり実感としてどのようなものなのかはよく知らなかった。何の変哲もない今日と言う、寒くてどんより曇った典型的東海岸の水曜日はしかして「ワニの結婚」という、このぼんやりとしたコンセプトが急にはっきり現実性を帯びた日でもあった。動物園で朝、たまたまキューバワニ - Crocodylus rhombifer キューバン・クロコダイルの温室の前を通りかかると、オスのミゲルと、メスのローズが二匹揃ってぷかぷかしていたのだ。哺乳類特有の発想で「ワニでもじゃれて遊ぶことがあるんかな。」と通り過ぎようとし、「ンなわきゃない」と思い直して戻ってきて見たところ(厳密には、あるらしい。→2015年2月23日追記)、交尾中だった、というわけなのだ。ローズは終始何かが気に食わないらしく目を見開きキバをむいて、こんな動物にまたがろうと思えるのは同じワニのオスをおいて他にいないと思われた。キューバワニは小型だけれど非常に気性の荒いワニで、野生下では生息地の破壊と近縁種間での遺伝子汚染によって絶滅が懸念されているため、この二匹の残す子孫は、種の未来を担う大切な子供達ということになる。ミゲル君、お疲れ様。ローズさん、がんばって元気な卵を産めますように。

2014年11月12日水曜日

かわ・ハラー「かわいい」と言う問題

人間の考える動物界における「かわいい概念」の代表例 - 砂のお風呂に入る、宅のハムスター


 ヒトが生き物を「かわいい」と言う時、それは同時に「かわいくない」生き物の存在を暗示する。例えば一般社会でいえば、上の写真の様なハムスターは「かわいい」とされる。小さくて、白っぽくやわらかい毛並みがふかふかで、足が短く黒目がくりくりしていて、木の実や葉っぱを食べ、人間と仲良しだからだ。一方、「かわいくない」生き物の典型的なものは、だいたい今挙げた形容詞の逆を考えると分かりやすい。即ち、大きかったり、黒っぽくて、節くれだった足をゴソゴソとさせ、瞳はギラギラと闇夜に輝き、固い毛並みかもしくは無毛で、食事は血や肉を貪り、人になつかない。生き物を「かわいい」と言う時、私達は無意識のうちに自分達にとっての良し悪しの判断を下しているのである。自然物である生物に対して「いい」と「わるい」を、自分の尺度で勝手に裁いているという事になる。

 我々の大好きな両生類や爬虫類の場合、どことなく親近感を感じさせるカメやカラフルなカエル、半分家畜化された一部のヘビ、トカゲ、ヤモリなどの場合はまだマシだと言えるけれども、それでも一般的には「かわいくない」に分類される生き物達だ。「かわいい」という言葉は本来、言い手の存在を脅かす可能性が低そうで立場的にも劣勢のものに対して使われ易い言葉なので、「ひょっとすると脅威になる得るかも」と想像をかきたてる両爬の場合、根本的に不利だ。もちろん「かわいい」のセンスは千差万別なので彼らにも愛好家が沢山いるが、中には逆を行って、この両生類や爬虫類が世間で「かわいくない」とされている前提を踏まえ、だからこそ好きなのではないかと思わされる人も存在する。「かわいくない」「こわい」とされている生き物を愛でている自分、という構図を作ることが目的の人も居るかも知れない。そんな時、両・爬は自意識補完薬としても作用するのだ。

 話をもとにもどすと、このように「かわいい」というアイデアはかなり主観的かつ、自動的に「かわいくない」側への差別を促すという倫理上の欠点がある。これには実害もあって、最近読んだこの話によると、たとえば自然環境や、生物種の保護活動においても、人々の関心や寄付は「かわいい」「きれいな」動物・・・例えばトラやクジラ、パンダやウミガメ、ホッキョクグマなどに集中し、それらの動物の存在を根底からささえる「縁の下の力持ち」の、小さな植物の仲間や昆虫類、クモ類、ヘビやカエルなどは無視される傾向にあるという。この現象は、人間の美的感覚が巡り巡って生物の多様性を失わせる可能性があることを示唆していて、危惧されることなのだ。

 まとめると、何かの生き物を見て「かわいい」という事は、スーパー上から目線なだけでなく、自然の神秘漲る「環境」に対して我々ヒトの粗末な尺度を押し付け、あわよくばその良し悪しを判定してやろうと考える傲慢、さらに「悪し」の側に分類されようものならいつの間にか滅びてようが知ったこっちゃねーという、あんまりな人類の暗黒面の発露となりかねないのである(※あくまで管理人個人の考えです)。よって今日、生き物に対して安易に「かわいい」という事は、ハラスメントの一種であると勝手に決定した所存であります。生き物をやたらと可愛さメインで語っていくことがあたかもめちゃめちゃ恥ずかしいことみたいな社会通念を作りませんか。本能を抑え込む最もパワフルな原動力は「恥ずかしいと思うきもち」だと思うので。

 しかしなんで、ここまでガタガタと能書きを書いたあげく両爬虫類の大大大の味方である管理人がロボロフスキーハムスターを3匹も飼っているのか、それはもう、理屈抜きでかわいいから生き物として大変興味深いからです。

一般論的「かわいくない」の一例、バルカンヘビガタトカゲ(Ophisaurus apodus)

お願いだからそんな目でこっちを見なさんな。

2014年10月31日金曜日

歳をとった生体の世話について、気付いたこといくつか

ある日の近所の公園にて

 管理人が初めてペット店から買ってきたガータースネークは、今思えばたいした世話もしなかったのに11年ほど生きてくれた。連れてこられた当時、そのヘビは既に亜生体以上の大きさだったので、ひょっとするともっと年をとっていたのかも知れなかった。ガータースネークはヘビとしては比較的寿命の短いグループなため、最後の頃は鱗の感じや動きも明らかに「おばあちゃん」という風になり、食欲はあったがだんだんに空気が抜けたようになって、そして枯れ葉が枝からぱらっと落ちるような感じで死んでいった。両生類、爬虫類は時に、びっくりするほど長い月日を生きる。飼育下にある場合、野生での平均的な寿命を超越して長生きすることもしばしばある。このことを思い出すきっかけになったのは、最近動物園で老齢個体の世話を手伝う機会が多くなった事だ。基本的に一匹一匹が沢山の適切なケアを受け、大切にメンテナンスされるそういう場所では生体はとても長生きで、40年近く園で展示動物として働いている(?)カメやトカゲやヘビなどがざらにいる。そしてそれを取り巻く人達も、彼らが最後まで生命を全うできるよう、色んな工夫を凝らしていることを知った。その中から4つ、重要かと思うポイントをメモした。最近、飼っている生き物がなんとなく年をとってきたなあと感じる他の飼育者の参考にもなるかもしれない。高齢の両生類・爬虫類のケアは、管理人が興味を持っていることのひとつでもあるので、今後も新たに思いだした事があれば付け足す。

1.ハンディキャップがある

 歳をとると出来ないことが多くなるのは人間と全く同じ。比較的よく見るのが、目が見えなくなる個体。ヘビなどに多いが、外見的に明らかに水晶体が混濁しているものの他に、見た目はあまり変わりないのに実は見えてないというケースもある。両爬虫類は優れた嗅覚を持つものが多いのでそれでも問題なく生きていける事が多いが、念のため餌や水は口の前まで持っていって、きちんと摂れているか毎回確認することが必要になる。また熱を感知できるボア・パイソンの仲間は、視覚を失ったことによって餌と人の手の区別がよりつきにくくなる場合もあるので注意する。

 筋力の低下や関節炎も比較的よく見られる。これは特に樹上棲種において問題になる。体をうまく支えられなくなったり、関節にかかるプレッシャーが不快感になって、のぼり木などにあまり登りたがらなくなる個体もある。その場合、ケージ内容は模様替えをして、バリアフリーなレイアウトにし、わざわざ木に登らなくてもバスキング出来るようにしたり、水入れは浅くしてすべり防止の為に中に人工芝を入れてみたり、工夫する。樹上棲ヤモリなどは、平らな面が地面と水平になるように設置した角材を入れたりして、楽にとまっていられるようにする。

 かなり老化が進んでくると、多くの個体はハイドボックスの中など特定の場所で静かに一日を過ごすようになり、糞もそのままそこでしてしまったりするようになる。不衛生にならないように、数日に一度は個体を動かして下に汚物がないか確認する(ついでに軽くハンドリングして体をほぐしてやる)。脱皮等も失敗しやすくなるので手伝う。

2.水分は全てを助ける

 仮に乾燥地帯出身の生き物であっても、水分補給は頻繁に(できれば毎日)行う。水入れの器の水換えをするだけでなく、霧吹きなどで軽くミスティングをする。適切な水分補給は呼吸器や循環器、泌尿器などの負担を軽減するだけでなく、先に書いた脱皮不全などを予防することにもなるので、個体が若かった時以上に気を付ける。蒸れには注意する。

3.食餌内容に気を付ける

 牙やクチバシの角質が摩耗して、上手にエサが取れなくなる個体が出てくる。歯が定期的に抜け落ちるタイプの生物も、再生速度が遅くなるので、そのような状態であっても食べられるようにエサの内容を検討する。本来の生態に即した餌を控えめ・こまめに与えることが重要になる。両生類などは特に、なるべく代謝を一定に保つようにする。

4.苦痛を取り除く

 最初に少し書いたように、生体が野生での平均寿命を大幅に超えて生きていると、普通では見られなかったような障害や、病気にかかるようになったりする。腫瘍などはその代表選手かもしれない。明らかにコブの様に盛り上がってくる腫瘍などは特に、触るとどことなく苦痛を感じているようなそぶりを見せる個体も居るので、なるべく触らないようにし、程度によっては治療、または安楽死の選択も必要になるかもしれない。

2014年8月18日月曜日

ソフィー


 ある日の動物園にて、朝日の中で日光浴するキューバワニの「ソフィア」。

ワニはディープな眼差しを持った生き物だ。
その瞳の奥をのぞき込めば、太古の意志に触れられそうな気さえする。

管理人をチラ見するソフィー


 太古の意志は手羽先を所望しているようだ(笑)。


2014年3月29日土曜日

死ぬにあたって。若き爬虫類飼育者の場合


 常に人でごったがえす東京の真ん中で生まれ育ったためか、今まで生きてきた中で幾人もの近しい友人達との別れも経験してきました。人生で最初にできた友達だった幼馴染みにはじまり、身体や心の重い病に倒れた人。事故。蒸発。他殺。またある時は、全く何の予兆もなく自宅で誰にも見つからずに、ひっそりと亡くなっていた人もいました。管理人の交友関係は「何らかの生き物の飼育や繁殖にすごくハマる」という趣味がベースになっているものも多かったので、このような時亡くなった人のことを悼むと同時に、心配になるのは飼われていた生き物達のことでした。なにしろ、生き物であってもそれらはもはや「ただのヘビ」や「ただのウサギ」ではなく、故人の形見にも等しいものだから。

 今まで見てきたなかで、「爬虫類を飼っている人」「何らかの生物のマニア」の多くは一人暮らしだったり、またたとえ誰かと同居していても『飼ってる生き物の世話は自分一人が責任を持って全てやってます』というタイプが多かったように思います(管理人もそうです)。またこのような人々の大部分は複数の生き物を飼っていて、中にはかなり多くのコレクションをたった一人で管理していた人もいます。この傾向は因みに、日本に限らず他の先進国でもだいたいそうで、多分、「爬虫類を飼う」「マニア化する」ということそのものが、そもそも良く言えば「自分の世界をもっている人の趣味」であると同時に、比較的内向的で、細部優先型で、アンチソーシャルな人の性質とマッチする側面があるからではないかと思っています。

 さっそく脱線してしまいました。

 とにかく、家庭内から「世話に精通した個人」が突然不在になった時、故人によって作り出された小さな楽園も終わりを迎えます。多くの場合、生き物達は、清潔な空気や水、新鮮な餌、適正な環境(熱や光)の供給を徐々に断たれていきます。亡くなった人の親族は、家族を失った苦しみの中で雑多な手続きやスケジュールに追われ、故人のペットの事・・・哺乳類ならまだしも何を食べるかもわからないようなカエルだか、なんだかにまでは手が回らなくなる事が普通です。そんな時どうするかといえば、良くて近くのペット店か爬虫類屋を見つけだして連絡し生体(または死体)や器具や備品類一式を持って行ってもらうか、ややもすれば、知り合いの子供の友達の兄弟の・・・得体の知れないナントカちゃんにそっくりあげてしまったりとか、外に逃がしちゃったり、どうしよう~と考えてる間にいっぱい死なせちゃったりします。困っている気持ちは分かるのですが、とにかくその生物の大切さや適正な価値を分かっている故人の友人ならば「やめてくれ~!」と思うような事を平気で行ってしまうわけです。これらが、がんばって貯めたお金や貴重な時間を投資して今隣にいる自分の生き物に起きることを想像すると恐ろしくなります。例えばうちのロンギ達がもらわれた先で、ボアコンを初めて飼う小学生にいじられまくり首にまかれてイベント会場を連れまわされる図を想像すると、三途の川の渡し舟に乗りかけた片足もひっこもうというものだし、少なくとも自分は成仏はしない。そのような事態は死んでも阻止したい(死んでるけど)と思うはずです。これは他人事ではありません。ここを読んでおられるあなたの家族は「このヤモリのどこがどう特別で」とか「このエーハイムの濾過機はもう廃盤で手に入らない」とか、そのへんの所に理解を示しますか?そうでなければ、たぶん教育が不足しているので春期講習を企画しましょう。

 とにかくどうやったらこの恐ろしい事態を避けられるのか。管理人がない知恵を絞って考えたアイデアは

 ①飼育者どうしのネットワーキングをふだんからやっておく。
 ②なにかあった時、生体についてどうするかメモかファイルを作っておく。
 ③爬虫類という趣味を「個人のもの」から「家族のもの」にしておく。

です。①のネットワーキングというと横文字でミサワ的な感じですが要は、いい愛好家なかまをつくっておくということです。これは、書いてる自分自身にとっても常に課題。②のメモかファイルは、理想をいえばデジタル形式がいいけど、あとでアナログなおかんが読むと考えるとノートなどにまとめるほうがいい場合もあります。なにかあった時連絡できる愛好家なかまや、知り合いのお店などのアドレスも添える。③は、年長のホビイストの方などは上手にされている人が多いですが、ようは爬虫類を家族みんなで楽しもう!ということです。家族だって、たとえ趣味としては理解できなくても、普段から見ていて気持ち的につながりのある生き物は無下には出来なくなるものだと思います。表情が見えにくく感情移入しにくいヘビとか昆虫などの場合ちょっと不利ですが、そこは努力・友情・勝利でカバーしていけばいいのではないだろうか。

 ところで、自分の今飼っている生き物が未来の形見候補って、ちょっと考えるとおもしろいような気もします。
 爬虫類は長生きな種も多いのでがんばってピカピカに仕上げておけば、後代まで尊敬されたりして。

2013年12月19日木曜日


 普段日本で何気なく喋っている爬虫類の標準和名・標準名は風情があったり面白いものも多いですが、反面いかにも外国語のように聞こえても実は和製語というケースや、間違えた発音を元にして作られたと思われるようなものも時おり混じっていて、結局やはり学名を覚えているしかないという事が結構あることに気が付きました。例えば、ワニの仲間の「ガビアル」は、この単語の持つなんとなくエキゾチックな響きから外国語をそのまま取り込んだカタカナ語なのかなと思いそうな所、実は外国語圏では「ガリアル」と言うのが一般的だと、最近知りました。調べた所オリジナルはガリアルだったのが、最初に間違って紹介されて、それが学名に定着したらしい。さらに米語圏ではこの「ガリアル」はどちらかというと「ギャリオー」に近い発音となり、日本産CBの管理人としてはいちいち顎に力を入れてガンバらないと発音出来ないんですね(それは自分だけか)。この学名の誤りが通称名としてそのまま使われている例に、ポピュラーなペット小動物である「モルモット」なども挙げられます。米語ではギニーピッグと言わないと通じないこの生き物、因みに「ギニアの豚」という英名すらも正しくなく(モルモットはギニアに生息しない)、それもどうなんだと思わされます。

 話を爬虫類にもどすと、もうひとつ気になっている例として「ボア・コンストリクター・インペラトール」があります。誰でも知ってて使っているこの「インペ」は学名を踏襲しているタイプの標準名だけれど、管理人のラテン語つまみ食いの知識を振りかざすと正しくは「インペラートル」ではないのかなと思っているんですね。さらに面倒なのは英語圏ではこの「インペラートル」を英語の発音に直した「インペレーター」が主流になります。またこの日本語の標準名の場合、亜種小名はラテン語読みであるのに、種小名の方は「コンストリクター」と英語読みで全体が統一されてない点も少しムズムズくるものがあります。しかしながら、自分にとっては昔から図鑑や発行物にで馴染みのある「ボア・コンストリクター・インペラトール」で刷り込まれている名前なので、イザ会話時に正そうとしても、難しいものがあります。言っても通じないから必然的に直すハメになるのですが・・・・・・。ハメと言えば、以前遊びに行った旧ソ連圏にあるテラリウムセンターの人々も、「カメレオン」を、どんなにがんばっても「ハメレオン」と混ぜて言ってしまう癖が直らないと嘆いていました(ロシア語ではハメリェオンと言うため)。これらは個別にみると大したことのない問題のように思えますが、生き物の名前を正しく伝えられないという事は会話していて疲れる原因になるので、なるべく正確に覚えておきたいもののひとつです。

 写真は管理人の家の矢筈砂ボア、またはジャベリンスナボア、またはJavelin sand boa、現地語ではザパードヌィ・ウダフチク、究極的にはEryx jaculusとおぼしきヘビの「プンたろう」。英語圏ではただRussian sand boaとよばれる事の多いこの種類は、スナボア属(Eryx)の知られざる基亜種。や、ややこしい。


2013年12月8日日曜日

 数日前に爬虫類は意外と頭がいいというメモを書きましたが、昨日のニュースに「鼻に小枝広げ止まり木探す鳥を誘惑 ワニの餌取り方法」というものが載っていました。主にアメリカアリゲーターの間で観察されたものですが、エサをひきつけるために道具を使うというのは、一部の鳥や哺乳類にはしばしば見られる行動だけど、爬虫類としては今まで知られていた彼ら一般の頭の使い方とは一線を画すもので、本当に本当だったら大きな発見です。仮にこれが条件反射の応用だったとしても尚、すごい事です。去年のメモに書いた「いつかおおきな池で、おおきなワニを飼ってみたい」という気持ちがまた新たになりました。爬虫類好きならきっと誰もが憧れる存在・・・それがワニ。

 しかしこのようなニュースを見た、時どこか納得させられる雰囲気が、ワニの仲間にある事も事実です。その頭脳に関する逸話は実に沢山あって、よく知られたもので言えば飼い主とそうでない人を完璧に区別する、親が子を保育する事などに始まり、またある水族館の人の話では池で飼われているクロコダイルが、給餌の時間飼育員の方へ口を開けて待機することを覚え、さらには、エサを投げて貰いながらだんだんと水中へ向かって後ずさりしていく行動を繰り返すようになった=こうすることによって、食べ物をばらまく動物(人間)もまたそのうち水に落ちるのではないか、という思考をしているのではないかと考えられていることなど、枚挙にいとまがありません。あの神秘的な黄色やみどり、ヘーゼル色の瞳の奥深くでどのような事が起こっているのか分かるには、きっとまだまだ時間が要ると思いますが、これでますますワニが好きになりました。

2013年9月30日月曜日

 現在住んでいるバージニア州には二種類のクビワヘビが生息しています。自分の住む北部ではホクブクビワヘビが、2時間ほど行けばホクブとナンブの混在する地域になり、そこからさらに4時間ほど走ればナンブクビワヘビの生息域になります。おもしろいのはこの「車で二時間」の間に見られる生き物ががらっと変わること。爬虫類のみならず、昆虫や鳥の分布図も変わってしまうし、関係ないけど人々の喋る英語のイントネーションも全く違う。そこから先は、アメリカでは「サウス」と呼ばれる保守的で独立心旺盛な人々のテリトリー。東海岸の南の果てはフロリダです。

 フロリダといえば、マイアミ市街地から65キロ南に位置するターキーポイントという原子力発電所があります。原子力発電所の周囲は人間の居住地の建設や商業活動が合衆国法で禁じられているため、広大な海と湿地帯に囲まれた発電所の周囲は図らずも希少なアメリカワニ(Crocodylus acutus)のサンクチュアリとなっているとか。ひとたび事故が起これば環境に与える影響の大きい放射能を扱う施設だけに皮肉なことです。

2012年4月5日木曜日

 国立博物館にティタノボア(タイタノボア、T. cerrejonensis)の完全模型がやってくるというので週末にキッズ達に混じって見物してきました。ティタノボア(タイタノボア)というのは今からおよそ6000万年前に南米、今のコロンビアのあたりに生息していた体長13~15m・体重1.1t以上の古代ボアで、成体はもっぱら古代ワニを専食していたというばかばかしいほど巨大な蛇です。予習のために見ていた雑誌の記事では模型はグリーンアナコンダをモデルにしているものと紹介していましたが、大型化すると体重を支えるために筋肉量が大幅に増えるため、かなりずんぐりした体型で実物の模型はどちらかというとスナボアを連想する顔と雰囲気でした。この体重と体型から推定されるティタノボアが獲物をコンストリクトする時のパワーは莫大で、獲物の体表面1c㎡あたり約130kgの圧がかかることになっていたらしい…、VS人間を想像すると巻かれた瞬間にグニャグニャに粉砕されることになる。ずっとずっと昔こんな化け物みたいな蛇が地球上を這い回っていた事はなんだか信じられないような気もするが、今生きているボア達はその生き証人ということだし、なによりうちにもその末裔が(ずいぶん小型化したとはいえ)3匹もいるんだと思うと結構感慨深い。



 ワニ食い蛇といえば、博物館のついでに今国立水族館に来ている白いアメリカアリゲーターも見に行き、やはりワニのかっこよさは特別だ!という認識を新たにしてきました。アルビノのワニは小学校の低学年の頃にサンシャイン国際水族館の特設展で見て以来だったので、あらためてその神様のような美しさに魅了され、家に帰ってから早速幼体の販売価格を調査(笑)。繁殖はそれほど難しくなさそうなのに案外流通していないあたりが希少価値を高めていて、欲しい気持ちに拍車をかける。暖かいところで一軒家を買い、プールをアリゲーター用に改造するなどすれば意外と飼育は容易な気がする(実際、フロリダあたりでは普通の民家のプールにワニが居候しているかどで、消防隊が呼ばれる事は結構よくある)。パティオで茶でも飲みながら庭の白いゲイターを鑑賞…など、かなり夢の展開である。管理人は客観的に見てかなり蛇が好きな人間だと思いますが、こんなのが家にいたらそんな自分でも「もう他になにもいらぬ」という心境になるかもしれない。

 とりあえず、野生下でも50年以上生きるらしいから飼いきることを考えたらそろそろ買ってこないと間に合わないな(笑)唯一の難点は管理人が暑さと暑い州が苦手なことか。