2014年6月6日金曜日

池で流行りのベーグルデート


 身近にいる特定の生き物へスーパーフォーカスした愛情を、パンくずやほぐしたシャケに等価交換してばら撒いている人々がいる。子供のころ、日曜の公園でよく見た「ハトおじさん」や「ネコおばさん」だ。子供の倫理感では、野生の生き物や飼い主のいない猫を飢えさせないことは単に「いいこと」だったから、素晴らしい人達だなあ、といつも感心していた。それと同時に餌に向かって我さきに突進する生き物達、その群がり蠢くさまを見つめるおじさん・おばさんたちの、一種独特な目の光に対してはちょっとした違和感を感じたりもしていた。正しく冷静であるはずの大人達が静かに陶酔状態になってる図というのは、子供からするとけっこうリアルだしコワイのである。

 そんな自分も世間で言う「大人達」の仲間入りをして久しくなった。どちらかというと一般道から脱輪して、そのままわき道をトコトコと爆走(?)している感じのマイノリティ派の大人となったが、しかし今ふと我が身をかえりみれば、そういう所謂「おちこぼれ」の自分でも「ナントカおじさん・おばさん」としてのキャリアに関しては、しごく順調に運んでいる事が分かるのである。これは若干気味の悪い現象でもある。たとえば湖への散歩用のカバンを開けたら、入れた覚えはないのに「ズーメッド・ナチュラルタートルフード」がビンごと入っている。工具箱をとりに物置きへ行ったら、買った覚えのない「ひまわりの種10キロいり~あなたの野鳥ライフを応援する~」がある。こんななので、最近は己の知らない自身の存在を徐々に認めていかざるを得なくなった。自分は知らないうちにそこら中に餌をばらまき、寄ってきた生き物をあの独特なまなざしでウットリと眺める種族の一員となりつつあるらしい。それを知ってしまった今、自律という概念そのものが空しい。なぜならば、どう屁理屈をこねたところで、実際あどけないニシキガメの仔亀が池から顔をだし、鼻からちっこい泡をぴこぴこさせながらこちらを伺っているのを見てしまえば、にわかに気もそぞろとなって懐から取り出したビンの蓋をおもむろに開け、その小さなペレットを指でひとつぶひとつぶつまんで放り投げる段となれば、思考はもはやバラ色のもやの彼方でララバイララバイしてしまうわけなのだから。

 上の写真は今日の午後地元の緑地を散策した時の光景。桟橋から水面を覗いたら、ランチ・ブレイク中のビジネスマンが落としていったらしい、押し麦のベーグルがクルクル回っていた。じっと目を凝らすと実はたくさんのニシキガメ達が水底から上がってきては食いつき、また別のが上がってきては食いつきしていたのである。うちのカメたちにパンをやるなんてと例の狂った思考が一瞬脳裏にチラついたが、気を取りなおしてみれば、ズーメッドのペレットとくらべてベーグルの方が何倍も食いつきが良いのはおもしろく感じた。この水ガメのペレットにはフィッシュ・ミールがたっぷり入っているので、ベジタリアン傾向の強いニシキガメの成体にとっては、小麦でできていて、やらかくて、さらに糖分と脂肪分もとれるベーグルの方が、ずっとおいしいに決まっている。ニシキガメ達の間でのこのベーグル人気は凄いらしく、周辺一帯では皆繁殖行動も中断してせっせとかじりついていた。人間界の原宿界隈におけるパンケーキ的位置付けなのかもしれない。

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