2012年3月25日日曜日

 小さいほうのボアコンの現在。どんな種類の蛇でも、この時期の仔は掃除するたびに手に取ると大きくなってるかんじがして楽しい。今日取り出したら、なんかサドルの色がちゃんとしてきたなと感じて、去年の写真とかと比べて見たりしていました。頭部の鏃型の模様の色素が薄いのが気になるな~このまま大きくなっていったら黒くなるんだろか。ならなかったら頭だけシルバーとか言わなくてはならないのだろうか。わくわくと心配が混ざったような心地ですが、これが1年以上続くのか…



 話は変わって、また今月もいつのまにか爬虫類の雑誌が郵便受けに届いていました。この雑誌、薄っぺらのペラペラなんだけど5冊のうち1冊くらいの割合で不意におもしろい情報とか豆知識とかが載っているのでとるのをやめることが出来ず困っている。今回は質疑応答のコーナーにおもしろい質問が載っていて、「今日び、世の中になぜこんなに沢山のアブノーマル(原文ママ)な蛇たちが殖やされているのですか?アルビノやその他のミュータントが自然の姿より美しいとは到底思えません。もし出来るならこれらの不自然な色をした蛇達(を飼ったり、殖やすこと)を規制したい。」という、ちょっと極端だけど一応蛇への愛情は伝わってくる問いでした。これに答えたおじさんというのが本国においてハーペトカルチャーのいわば黎明期ともいえる60~70年代からコーンスネークの繫殖に携わっていた人で、この倫理的な問題に対して上手に回答していたので感心した。アメリカでは、爬虫類を飼ったり売ったり殖やしたりする文化が商業的に成功したことによって、この手の倫理問題に関する人々の解釈も成熟してきてるような印象がある。おじさんの回答の中に「では逆に、色や模様のミューテーションを作ったり、残していくことがこの文化自体に対してどんな意味・影響をもつと思いますか?」という重要な問いがあった。この問いに、爬虫類をとりまく産業を理解するためのヒントがかくされていると思う。

 ちょっと目から鱗だったのが、自然の形態そのままの生き物にしかよさを感じないと暗に伝えている質問者に対するおじさんの「累代に亘って人間の飼育下にあると、爬虫類の外貌はたとえノーマルの血統であっても、自然下で見られる様相とは異なっていくものである」という経験に基づく指摘。飼育下の繫殖ではどこかに繁殖家の模様や色彩の好みのバイアスがかかるので、CB個体が市場を圧倒的に支配している現在のアメリカのペットトレード上において、何をもってその個体が「ノーマル」か、自然のままの姿かというかはもはや明文化することは出来ないのだということ。これを読んで、考えれば当たり前の事だけれども、なるほどな~と思っていた今日です。

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